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ジオサイト『院内』より 院内地区で一番古い神社『愛宕神社』

≪愛宕神社は火災で何度も焼失している。≫
についてご案内します。

≪愛宕神社は火災で何度も焼失している。≫

愛宕神社が火災にあった記録が残っています。
① 寛政年中愛宕神社より出火して神社が全焼する。
② 明治33年5月18日近傍の児童の放火により火災となり、神社等焼失。但し本尊及び合殿の大黒天等は幸いに運び出した。
   明治34年11月 再建されました。
③ 昭和6年9月27日午前1時頃小沢町からの出火は、折しもの強風により院内駅前付近のほとんどを焼失する大火災となり、
この時愛宕神社も類焼する。類焼戸数全焼が57戸半焼2戸院内駅は残ったが信翁院全焼する。
   昭和7年12月に再建されました。


火災後の風景1
昭和6年の火災が発生して焼け野原になった風景1 左奥に焼けなかった院内駅がり、手前には院内石で作られている蔵が見えます。(院内石が火に強いことを表しています)
火災後の風景2
小沢地区はほどんどの家が焼けてしまいました。

この様に愛宕神社は記録に残っているだけで3回焼失しています。
そのたびに地域の人達の努力により、再建されてきました。
神社境内にある再建に関する石碑が2基あります。

石碑群
まずこの写真は境内にある石碑群です。この中に明治時代の再建碑と昭和の大修理の碑があります。
IMG_3744.jpg
これは明治時代の再建に尽力した人と、再建のための御寄附をした人の名が刻まれています。
明治33年の火災で焼失した後、明治34年11月に再建した時の寄附した人達の名前が書かれています。
当時寄附した人たちは何と、約1100名もいました。最高額は当時のお金で金百円を出した方が3人もいました。

IMG_3746.jpg
昭和52年8月24日に愛宕神社の修理をしていますが、その時に寄付してくれた人達の名前が刻まれている石碑です。
約200名の方の名前があります。(1万円以上の方) 最高額は当時のお金で金20万円を出した方が2人おりました。

この石碑の裏面に昭和6年の火災後の再建やそれ以後40年後の修理に関する記述があります。
 『本神社は昭和6年9月小沢大火に際して類焼 当時の氏子総代を始め建築委員の方々の誠意素朴ある真心と努力が結集して見事御再建の上 昭和7年12月には遷座祭を催行して御神慮を安んじ奉り、今日に至っております。以来四十有余年 その御本尊は御偉容を加へて御祾威(ミイツ)弥や輝きを益しておりますことは御同慶に堪えないところであります。 然しながら幣殿(中の廊下)の狭隘(キョウアイ)と汚損 昭和十四年八月に建立されました拝殿の破損甚だしく、加えて昭和27年氏子篤志家の一手建立御奉納の生垣、透堀の腐食倒壊を見るに至り、一日も早い建替えを要する状態となりました。偶々(タマタマ)本年専任官司が帰任し一意奉仕の真心披瀝するに及び氏子総代一体となって御修復を決意し、総代会に於いて建築委員会、実行委員会を設け 氏子全域はもとより遠く院内出身在京崇敬者よりも格別の御協力を得て工事に着手 七月初旬より突貫工事に入り、例祭に併せて完成を見たものであります。
依って例祭とともに施行捧告祭を執り行い金壱万円以上協賛者の御芳名を録して永く敬意と感謝の意を表するものであります。』
                    昭和52年8月24日
宮司 鎌田太一、建設委員長 原田忠太、副建設委員長 東海林秀郷 石工 渡部竹郎

現在の愛宕神社は昭和7年に再建され、昭和52年に修理されたものです。
当時の院内在住の氏子さんや遠方の方達は財力のある人が多くいたため、拝殿や本殿を見ればわかるように、とても立派な建物として生まれ変わりました。
再建現場
昭和7年 本殿の再建棟上げ式の様子。
昭和7年再建
昭和7年12月10日 社殿完成:遷宮祭の様子。 当時の屋根は茅葺の様です。(この時、拝殿はありません)

今回の参考資料として 『奉祝 愛宕神社創建千二百年祭』 編者:湯沢市愛宕神社 2011年10月発行より

今回はこれで終了いたします。
ごきげんよう さようなら






        









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